反キャッチアンドリリース

反キャッチアンドリリース

私達も、「キャッチアンドリリース」が「釣った魚が何らかの理由(例えば、小さすぎる。狙っていた魚ではない。)で持ち帰ることが適当でない場合には返すべき。」という趣旨を主とするものであれば「反対」する理由はありません。しかし、現在、雑誌等で目に入る「キャッチアンドリリース」は「釣った魚は返さなければならない。釣ったら返すのが当然。」というだけのことで、それが全てでしかない様にしか読みとることができません。私達は、こういうような内容(中身のない)の「キャッチアンドリリース」であるならば賛成しかねる。そんな気持ちで「反キャッチアンドリリース」というタイトルを付しました。

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「キャッチアンドリリース」についての私達の考え

私達が、「キャッチアンドリリース」という「言葉」を目にしたり耳にしたのは1970年代のどこかだったんだろうと思います。私達はその時には既にルアーフィッシング・フライフィッシングを楽しんでいましたが、この頃は、日本製の釣り道具には「ルアーロッド」というモデル名の竿が売られていたようなまだそんな時代でした。
その時分に、私達が見たり聞いたりした「キャッチアンドリリース」は、「魚(生命)を無駄に死なさない(殺さない)」ということが趣旨だったと記憶しています。私達の現在の考え方もこれが基本ですが、「死なさない(殺さない)」だけではなく「必要以上に傷つけない」ということも考えなくてはいけないことと思っています。わざわざこんなところでスペースを設けたのは書いておくべきことがあるのではないかと感じたからです。それは、以前の「キャッチアンドリリース」には「生き物」が相手であるからこそ「生命を無駄に傷つけたり殺したりしない」という認識があったこと。それに、この頃には釣った魚を「持ち帰り」「食べる」ことも釣りの楽しみの一つであると認識されていたことです。この辺りの認識が現在とは大きく異なるように感じます。もちろん、ルアーやフライでもそうでした(フライの方がリリース意識は大きかったのかも知れませんが・・・そんな気がします)。今から思えば、ルアーやフライの釣りを含む「魚釣り」=>「釣った魚を食べる」という流れがまだまだ一般的だったはずです。

このような意見には異論もあるかも知れません。でも、私達が読む限り、現在の「キャッチアンドリリース」は「釣った魚は返さなければならない。釣ったら返すのが当然。」という内容が基本のように見受けられます。返すことに理由がない(なぜ返さなくてはいけないのか)ということです。先般、「特定外来生物問題」等で「ブラックバス(殊に、再放流(リリース)の禁止)」が取り上げられた時に「リリースできなくなる。」「リリースは、生き物を相手にする時のマナーである。」等ということがテレビでも大々的に述べられていた様子からもそう思わざるを得ません。この時、釣り人の立場では、釣り上げたブラックバスを「食べる」「食べよう」とか「他の用途に使う(他の生物の餌とする)」といった考え方は全くと言ってよいほど見られませんでした。「釣った魚は返さなければならない。釣ったら返すのが当然。」ひいては「返しさえすればどんな釣り方をしても良いし、どんなに小さな魚でも傷つけてよい。」という思考につながりかねない現在の「キャッチアンドリリース」は好ましくないように感じています。

こんな現実もあります。
1に、小さな魚(小さな生物)は大きな魚(大きな生物)に比較してより弱いと考えられていますが、より弱いであろう小さな魚が釣れてしまう可能性が高いということが良くわかっているにもかかわらず「小さなルアーが非常に多く販売されている」こと。私達がルアーをはじめた当時よりも現在の方が小さなルアーが多いようにさえ感じます。
2に、よってたかってリリースを奨励しているはずなのに「販売されるルアーに返しの無い釣り針(バーブレスフック)が標準装備されていないこと(少しずつ増えてきてはいるようです。)」。リリースがマナーであると言うのならば、魚が大きく傷ついてしまう危険性がより高い返し付きの釣り針をなぜ使うのでしょうか。この釣りにスポーツ性やゲーム性を言う方もいらっしゃいますが、それだって相手に逃げる隙を与えた方がよりスリリングとも思えますし、スポーツやゲームだと捉えること自体、生命で遊ぶことを楽しんでいると言っているだけではないでしょうか。
この2つばかりとってみても生命を貴ぶ「キャッチアンドリリース」の実践ははかられていないように思います。結局、「釣具メーカー」「釣具販売店」等が「釣れないと売れない。売れないと儲からない。」という構造にあるが故にこのような言葉だけの「キャッチアンドリリース」を必要としているように思えてしかたありません。

「リリースは、生き物を相手にする時のマナーである。」と述べた方のその言葉の趣旨は良く判りませんが、結局「生き物を傷つけるだけ傷つけても返せばよい」ということにしか受け止めることが出来ず困っています。考え方の問題に過ぎないのかもしれませんが「魚」を食べることは、自然の食物連鎖からすれば、人にとっては必要な(若しくは あって良い)ことの一つでしょう(中には魚が嫌いで食べたくない方もいらっしゃるかも知れませんが・・・)から、私達には「自分の楽しみのためだけにただ傷つけて返すこと」よりも「きれいに食べてること」の方が、まだよいように感じられます。

さらに「生き物を傷つけて、返すことがマナー・目的である」というのであれば、傷つけることをしないことが最良と言うほかないのではないでしょう。

上で、ブラックバスを「食べる」ということが考慮されていないと書きましたが、1970年代の後半頃、山中湖近くには調理してくれるお店がありました(今でもあるのか。今でも調理してくれるのかはわかりません。)。私は、何度も自分で釣ったブラックバスを食べました。食べてみる前、本にはスズキの仲間とありましたので、美味しいのだろうと思う一方で、当時の雑誌には「泥臭い」とか「青臭い」といった評価・記述が多く、不安もありました。しかし、意外なことに、山中湖近辺の調理士さんの中には「ブラックバス料理」のために様々工夫をされている方もいらっしゃったようで、いつもとても美味しく調理して下さいました。記憶に残っているのは、「皮があると臭う」という言葉です。その方はいつも皮をきれいに剥いで火を入れて調理しておられました。その後、やはり山中湖で「生食(刺身)」の試食会があると誘われたこともあったのですが、なんといっても「淡水魚」。さすがにご遠慮させていただきました・・・どうなったのか?どうだったのか?聞くくらいしておけばよかったと、少し後悔しています。

私達が必死で釣りを楽しんでいた1970年代1980年代と現在では、釣り人口も釣り場の状況も異なるのでしょうから、現在からの新たな視点を加えて考えることも必要なのかもしれませんが、やはり基本は「対象が生き物であること」に最大限気を配ることにあるのではないかと思います。
私達は、「魚だからリリースしさえすれば何をしてもよい」のではなく、生き物を対象としているが故に「無駄に死なさない(殺さない)こと」「余計に傷つけないこと」「可能な限り小さな魚を釣らない(小さなルアーを使用しない)ようにする」「実際に食べてみる」等々を考えてみることが必要なのでははないかと思うんです。

釣った魚を食べる・料理する

いろいろな魚に共通の技
エラと内臓の簡単な取り方。概ね20センチ前後までの比較的新鮮な魚に使える、海の漁師さんに教わった方法です。
まず、割り箸を一膳分用意します。これを割って、一本目を魚の口にいれて片方のエラとエラ蓋の間を通してのどの奥へ入れます。反対側のエラについても同様にします。二本とも入ったら片手で魚の体を押さえて、片手で割り箸二本をぎゅっと握って2~3回割り箸を軸に魚を回転させます。その後、割り箸を離すことなく握ったままでゆっくりと引っ張ると「エラ」と「内臓」が一緒に取れます。
釣り場でも出来ますし、自宅でもキッチンを汚さないのでとても有用な方法だと思います。うちでも家内が覚えてからはこの方法がよく使われています。
しかし、時間が経ってしまった魚では、内臓がついて来なくなってしまいますので、この方法ではエラだけしか取れず、うまくないです。